東京高等裁判所 平成3年(行ケ)129号 判決 1993年11月25日
スウエーデン国
アリングサスS-441 63、ノードガード PL3532
原告
ステフアン・マンゴルド
スウエーデン国
ゲーテボルグ S-41320、ロブスコグスガタン 4C
原告
アルネ・ライヨン
スウエーデン国
フロルンダ、 S-421 59V、シレスカルスガタン 45
原告
ビエルン・イスラエルソン
原告ら訴訟代理人弁護士
片山英二
同
田口和幸
訴訟復代理人弁理士
葛西四郎
東京都千代田区霞が関3丁目4番3号
被告
特許庁長官
麻生渡
指定代理人
梅村勁樹
同
奥村寿一
同
宇山紘一
同
田辺秀三
主文
特許庁が昭和63年審判第19029号事件について平成2年12月20日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第1 当事者の求めた裁判
1 原告ら
主文と同旨の判決
2 被告
「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決
第2 請求の原因
1 特許庁における手続の経緯
原告らは、1981年4月16日にスウエーデン国においてした特許出願に基づく優先権を主張して、昭和57年4月16日、名称を「プログラム可能な信号処理装置」(後に「プログラム可能な補聴器」と補正)とする発明につき特許出願したところ、昭和63年6月30日に拒絶査定を受けたので、同年11月7日に審判を請求した。特許庁は、この請求を同年審判第19029号事件として審理した結果、平成2年12月20日、「本件審判の請求は成り立たない。」との審決をした。
2 特許請求の範囲第1項に記載された発明(以下「本願発明」という。)の要旨
会話や音楽のような情報を含んだ複合入力信号を処理する機能を備え、難聴者の難聴度に応じてプログラムされる電子制御型の信号プロセッサ(4)を備えた難聴者用のプログラム可能な補聴器において、異なった音響環境・リスニング状態に関して難聴者の難聴度に応じてプログラムされ、少なくとも二つの独特の信号処理のための情報・データを同時に記憶する記憶装置(6)と、独特の信号処理の一つのために情報・データを記憶装置(6)から信号プロセッサ(4)へ伝送して特定の音響環境・リスニング状態および難聴者の難聴度にプログラムされた際に一つの信号処理を行なうようにした手動または自動の制御装置(5)とを設けたことを特徴とするプログラム可能な補聴器。(別紙図面1参照)
3 審決の理由の要点
(1) 本願発明の要旨は前項記載のとおりである。
(2) 特公昭52-50646号公報(以下「引用例1」という。)には、入力音によって発生したマイクロホン(1もしくは16)の出力信号を複数のフィルタ3、4、5・・・の切換スイッチSWを操作して難聴者の聴力特性にもっとも適応した周波数特性が与えられ、適当な増幅度が得られるようにボリウム(6もしくは20)をセットし、増幅器(7もしくは21)で増幅してイヤホン(8もしくは22)で聴取される補聴器であって、前記増幅器の前段に低域コントロール回路(17)及び高域コントロール回路(18)を加え、前記マイクロホンもしくはコントロール用マイクロホン(第2図10、別紙図面2第2図参照)の出力から会話に必要でない周波数スペクトル部分のみ通過する帯域減衰フィルタ12を通してコントロール電圧を得、該コントロール電圧をボリウム(13)等で調整して前記低域コントロール回路及び高域コントロール回路に入力して低域コントロール回路及び高域コントロール回路の周波数特性を変化させ、環境条件によって聴取音をコントロールできるようにした補聴器が記載されている。(別紙図面2参照)
実願昭52-166651号(実開昭54-92146号)の願書に添付された明細書及び図面を撮影したマイクロフィルム(以下「引用例2」という。)には、周波数帯域を適宜数に細分し、分割された帯域ごとにそのレベルを調整する音質調整回路であって、選択操作(スイッチ1aおよび1b)によってゲート(2aおよび2b)を開き、パルス発振器(4)からのパルス信号を通過させる2個一組のゲート回路と、これらのゲート回路のうち一方のゲート回路からのパルス信号を加算方向に計数し、他方のゲート回路からのパルス信号を減算方向に計数するカウンタ(5)と、同カウンタにおける計数値をアナログ値に変換(デジタル・アナログ変換器13)し、このアナログ量によって当該帯域のレベルを制御する制御装置を分割された帯域ごとに設け、前記各カウンタの出力端子を記憶装置(12)の入力端子に接続するとともに、該記憶装置(12)の出力端子を前記各カウンタの入力端子に接続し、前記記憶装置(12)の各単位の記憶素子の制御端子にそれぞれスイッチ(13a、13b、13c)を接続すると共に記憶操作スイッチ(15)を接続し、前記記憶操作スイッチ(15)の操作と前記スイッチ(13a又は13b又は13c)の操作とにより前記スイッチで選択された単位の記憶素子にその時の前記カウンタの計数値を記憶させ、前記スイッチの操作によりそのスイッチに対応した記憶素子の記憶値が前記カウンタに対して読み出され、使用者の好みに応じた当該周波数帯のレベルを、予め音楽の種類などに応じて各記憶素子に記憶させておけば、以後スイッチ(13a、13b、13c)の選択操作により、ワンタッチで好みの特性に設定することができる音質調整回路が記載されている。(別紙図面3参照)
(3) そこで、本願発明と引用発明1とを対比すると、後者における「複数のフイルタを切換えること」ならびに「低域コントロール回路および高域コントロール回路を設けて周波数特性を変えること」は、異なった音響環境・リスニング状態に関して難聴者の難聴度に応じて会話や音楽のような情報を含んだ複合入力信号を処理するものであることは明らかであるから、両者は、会話や音楽のような情報を含んだ複合入力信号を異なった音響環境・リスニング状態に関して難聴者の難聴度に応じて調節処理する機能を備えた補聴器である点で共通し、異なった音響環境・リスニング状態に関して難聴者の難聴度に応じて調節処理する手段として、本願発明は、異なった音響環境・リスニング状態に関して難聴者の難聴度に応じてプログラムされ、少なくとも二つの独特の信号処理のための情報・データを同時に記憶する記憶装置と、独特の信号処理の一つのために情報・データを記憶装置から信号プロセッサへ伝送して信号処理を行う制御装置とを設けているのに対して、引用発明1は、切換スイッチSW及びボリウム(13)のそれぞれの手操作によるものとして点で相違する。
(4) 次に、この相違点について検討する。
会話や音楽のような情報を含んだ複合入力信号を処理するオーディオ機器において、異なった音響環境・リスニング状態に関して聴取者の好みに応じてプログラムされ、少なくとも二つの独特の信号処理のための情報・データを同時に記憶する記憶装置と、独特の信号処理の一つのために情報・データを記憶装置から信号プロセッサへ伝送する制御装置を設けるようなことは、引用例2に記載されており(引用例2に示された「1単位の記憶素子に記憶された記憶値」は、独特の信号処理のための情報・データの一つであり、「音質調整回路」は制御装置に相当する。)、会議や音楽のような情報を含んだ複合入力信号を処理する信号プロセッサとして共通する引用例1記載のものにおいて、その調節処理する手段としてこのような制御装置を付加することに格別の発明力を要するものとは認められない。
(5) したがって、本願発明は、引用例1及び引用例2に記載された技術に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものと認められるから、特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。
4 審決を取り消すべき事由
審決の理由の要点(1)、(2)は認める。同(3)のうち引用例1記載の補聴器が「リスニング状態に関して」調節処理する機能を備えたものであることは争うが、その余は認める。同(4)、(5)は争う。
審決は、引用発明2の技術内容を誤認し、かつ、同発明の音質調整回路を引用発明1の補聴器に付加することはその前提条件及び動機付けが欠如していることを看過、誤認して、相違点に対する判断を誤ったものであって違法である。
(1)<1> 審決は、引用発明2の「音質調整回路」が制御装置に相当するとしているが誤りである。
本願発明における制御装置は、特許請求の範囲の記載から明らかなように、制御装置の外部にあって情報・データを記憶する記憶装置(6)と、同じく制御装置の外部にあって情報・データの転送を受け、これを信号処理することのできる信号プロセッサ(4)の存在を前提とし、記憶装置(6)から信号プロセッサ(4)への情報・データの転送を制御するものである。
ところで、引用発明2の記憶装置(12)は音質調整回路の内部の要素であって、音質調整回路の外部には何らの記憶装置も存在していない。したがって、引用発明2の音質調整回路が、その外部の記憶装置と信号プロセッサとの間の情報の転送を制御するというような事態は起こり得ない。
したがって、引用発明2の音質調整回路が本願発明の制御装置に相当しないことは明らかである。
<2> 被告は、引用例2(甲第3号証)の第1図に図示されている、広義の「音質調整回路」が本願発明の制御装置に相当する旨主張するが、同図の装置は、その内部において被告の主張するデータの移動(転送)はあるものの、本願発明の制御装置におけるような、制御装置の外部の情報・データを、制御装置の外部のある装置(記憶装置)から外部の他の装置(信号プロセッサ)に転送するのを制御するといった機能を有していないのであるから、被告の上記主張は理由がない。
(2) 引用発明2の音質調整回路を引用発明1の補聴器に付加することに格別の発明力を要しないとした審決の判断は、以下述べる理由により誤りである。
<1> 引用発明2は、「周波数帯域を適宜数に細分し、分割された帯域ごとにそのレベルを調整し得るようになっている」ことを不可避の前提とするものである(甲第3号証第1頁15行、16行、第2頁14行ないし16行)。これに対し、引用発明1の補聴器には分割された周波数帯域が存在しない。例えば、引用発明1の低域コントロール回路17及び高域コントロール回路18は縦続接続されているから、帯域分割には該当しない(帯域分割というためには並列接続でなければならない。)。また、フィルタ3、4、5にしても、切換スイッチSWの切換えによって一時には1個ずつしか使用されないものであるから、帯域分割には該当しない。
そうとすれば、引用発明2の音質調整回路を引用発明1の補聴器に付加することは、上記前提条件が欠如しているから不可能であるといわざるを得ない。
この点に関して、被告は、引用例1(甲第2号証)の第5図には低域コントロール回路30と高域コントロール回路31とを縦続接続し、2分割ではあるが分割された帯域ごとにそのレベルを調整し得る回路が記載されている旨主張する。
しかし、審決が引用した引用例1の第2図記載の低域コントロール回路17及び高域コントロール回路18は、「分割された帯域ごとにそのレベルを調整し得る回路」では決してないのであって、引用例1の実施例においては、引用発明2における「帯域分割」はなされていない。これらのことは、引用例1の第5図記載の実施例についても同様であって、被告の上記主張は理由がない。
また、被告は、引用例2記載の制御回路の制御対象が並列接続であるとしても、音質調整のための回路として縦続接続で構成されたものに適用が困難であるものと断定することはできず、少なくとも電圧で制御可能な回路であれば具体的回路が同一でなくても適用が容易である旨主張するが、引用例1の実施例は、前記のとおり、「帯域ごとにそのレベルを調整し得るもの」ではないし、事実、「帯域ごと」の調整は行っていないから、上記主張も理由がない。
<2> 次に、引用発明1は補聴器に係るものであり、その目的は、高音域での大きい音に対する「痛み」の問題を解決すること、及び周波数スペクトルの幅の広い騒音のある環境下での会話に不要な部分の音による妨害の問題を解決すること、換言すれば、難聴者に対する環境条件による障害を除去することにあり(甲第2号証第1欄31行ないし第2欄7行)、その作用効果は、従来のものに比べて「痛みを感じなくなった」、「騒がしい所でも人の声が浮上がって聞き取れる」ようになったということである(同第4欄23行ないし25行)。一方、引用発明2の利用分野はオーディオ機器であり、その目的は、「(オーディオ機器のレベルにおいて)操作盤を軽量、かつ、薄形にし得るようにすると共に、調整量の表示を発光素子によって行うようにして、操作盤の取付け場所が制限されず、また、調整量を確認し易いようにした音質調整回路を提供すること」(甲第3号証第3頁7行ないし11行)にあり、その作用効果は、「使用者の好みに応じた当該周波数のレベルを、予め音楽の種類、例えばジャズ、クラシック、ポピュラーなどに応じて各記憶素子に記憶させておけば、以後13a、13b、13cの選択操作により、ワンタッチで好みの特性に設定できる。」
(同第8頁12行ないし17行)というものである。
上記のとおり、両発明は利用分野、目的・課題並びに作用効果において全く相違し、相互に共通するところがないのであるから、当業者が引用例1を見たとしても、引用例2を想起する必然性は皆無である。また、補聴器のサイズはオーディオ機器の数分の1あるいは数十分の1以下であるから、引用発明2の上記目的は補聴器に対しては妥当するところがない。さらに、高域(周波数)での大きい音に対して「痛み」を訴える感音性難聴者にとっては、引用発明2におけるようなオーディオ向けの調整効果は有害無益である。
この点に関して、被告は、引用発明1と引用発明2は音質制御技術に関して技術分野を同じくしている旨主張するが、引用発明2における「音質調整」とは端的にいえば、聴取を目的とする音(音声・音楽)自体の質を調整することであり、引用発明1の補聴器で行っていることは、聴取を目的とする音(音声等)以外の「妨害音」を除去又は減衰させることであるから、引用発明1が音質調整を行っていないことは明らかであって、上記主張は失当である。
以上のとおりであるから、引用発明1の補聴器に対して引用発明2の音質調整回路を付加してみようというような企図ないし行動への動機付けが存しないことは明らかである。
第3 請求の原因に対する認否及び反論
1 請求の原因1ないし3は認める。同4は争う(但し、本願発明における制御装置が4(1)<1>のとおりであることは認める。)。
審決の認定、判断に原告ら主張の誤りはない。
2 反論
(1)<1> 審決は、引用発明2の「音質調整回路」が制御装置に相当するとしたが、この「音質調整回路」は広くとらえたものである。すなわち、広義の「音質調整回路」は、引用例2の第1図に図示されている、狭義の「音質調整回路」(TONE CONTROLLERとして右方矢印の先にあるものとしての図外回路)、「記憶装置12」、「プログラマブルカウンタ5」、「デジタル・アナログ変換器13」、「デマルチプレクサ14と発光ダイオード」、「いくつかのスイッチとアンド回路」及び「データが転送される配線(番号未付与)」からなるものであって、これが広義の「制御装置」に相当する。そして、この広義の制御装置が、音質調整を行うためのデータを「記憶装置12」から「プログラマブルカウンタ5」へ、あるいは「プログラマブルカウンタ5」から「記憶装置12」へと転送を制御する機能を有することは自明であって(引用例2には、「記憶操作スイッチ15を閉じた状態で、さらにスイッチ13aを閉じると、そのときのカウンタ5における計数値が、記憶装置12内の第1の記憶素子に記憶される。」(第7頁19行ないし第8頁2行)、「スイッチ13aだけを閉じると第1の記憶素子における記憶値がカウンタ5に対して読み出され、同様に、スイッチ13bを閉じると第2の記憶素子における記憶値が、スイッチ13cを閉じると第3の記憶素子における記憶値が、それぞれカウンタ5に対して読み出される。」(第8頁6行ないし12行)と記載されている。)、このような機能を有する部分が「情報・データの転送を制御するもの」としての狭義の制御装置に相当し、広義の制御装置は狭義の制御装置を含むものである。
以上のとおり、引用例2には「情報・データを転送する制御装置」が記載されているから、「独特の信号処理の1つのために情報・データを記憶装置から信号プロセッサへ伝送する制御装置」が引用例2に記載されており、「音質調整回路」は制御装置に相当するとした審決の認定に誤りはない。
<2> 原告らは、被告が主張するデータの転送が引用例2の第1図の装置内部でしかなされていない点をもって、第1図の装置は転送を制御する機能を有していない旨主張する。
しかし、第1図の装置は記憶装置12の内容であるデジタル・データを、カウンタ5を介しデジタル・アナログ変換器13に印加し、デジタル情報をアナログ量に変換した後、制御対象である外部のTONE CONTROLLERに制御情報を伝送(転送)しているものであって、かかる一連の信号の伝送を担う構成は、記憶装置から独特の信号処理の一つのために情報・データを信号プロセッサに相当するTONE CONTROLLERに転送制御しているものである。また、デジタルでの転送制御自体は本願発明の要旨ではないが、デジタル信号の観点からは、デジタル・アナログ変換器13とTONE CONTROLLERとからなる回路を信号プロセッサと見なすことによってデジタル信号の信号プロセッサへの転送制御がなされているということができる。
したがって、原告らの上記主張は失当である。
(2)<1> 原告らは、引用例2の「分割された帯域ごとにそのレベルを調整し得るようになっている」との記載をもって、引用発明2の制御回路の制御対象は並列接続でなければならないとした上、同発明の音質調整回路を縦続接続されている引用発明1の補聴器に付加することは、その前提条件が欠如しているから不可能である旨主張する。
しかし、引用例1の第5図には低域コントロール回路30と高域コントロール回路31とを縦続接続し、2分割ではあるが分割された帯域ごとにそのレベルを調整し得る回路が記載されているのであって、このように、縦続接続であっても「帯域ごとにそのレベルを調整し得るもの」があり、かつ、引用例2記載の技術は「帯域ごとにそのレベルを調整し得るもの」を対象にしているものであるから、原告らの上記主張は失当である。
また、引用例2記載の制御回路の制御対象が並列接続であるとしても、音質調節のための回路として縦続接続で構成されたものに適用が困難であるものと断定することはできず、少なくとも電圧で制御可能な回路であれば具体的回路が同一でなくても適用が容易であるから、この点からいっても原告らの主張は失当である。
<2> 次に、原告らは、引用発明1と引用発明2は利用分野、目的・課題並びに作用効果において相違する旨主張する。
しかし、引用例1記載の技術は補聴器に関するものであり、周波数特性を変化させる回路(音質調整回路に相当)を有しているものであることは審決の認定するところである。引用発明2は音質調整回路の制御に関する技術である。したがって、両発明は、音質制御技術に関して技術分野を同じくしているということができる。そして、引用例1記載の技術の目的は「会話に不要な周波数スペクトル部分で補聴器の出力信号特性をコントロールすること」(甲第2号証第2欄7行ないし9行)であり、引用例2記載の技術の第1の目的は「周波数帯域を適宜数に細分化し、分割された帯域ごとにそのレベルを調整し得る」(甲第3号証第2頁14行、15行)ものの提供であり、第2の目的が「操作盤を軽量、かつ、薄形にし得るようにすると共に、調整量の表示を発光素子によって行う」(同第3頁7行ないし9行)ことである。このように、両発明は目的においても一部共通するものである。
以上のとおり、引用例2記載の技術と、「会話や音楽のような情報を含んだ複合入力信号を処理する信号プロセッサ」として共通する引用例1記載の技術において、その調節処理する手段として、引用例2に記載された「少なくとも二つの独特の信号処理のための情報・データを同時に記憶する記憶装置と、独特の信号処理の一つのために情報・データを記憶装置から信号プロセッサへ伝送する制御装置」を付加するに際しては、制御対象である独特の信号処理のための回路が少なくとも電圧で制御可能な回路であれば具体的回路(及びその回路によって実現される周波数特性)が同一でなくても適用が容易であるから、付加することに格別の発明力を要するものではなく、これと同旨の審決の判断に誤りはない。
また、引用例1記載の技術と引用例2記載の技術との組合せにより、本願発明の「特定の音響環境に最も適した信号処理を自動的にまたは利用者の制御で選択するプログラム可能な補聴器」(甲第4号証第6頁4行ないし6行。但し、甲第6号証による補正後のもの)が得られるものであるから、その作用効果も予測できる範囲内である。
第4 証拠
証拠関係は書証目録記載のとおりである(書証の成立はいずれも当事者間に争いがない。)
理由
1 請求の原因1ないし3の事実、引用例1及び2に審決摘示の技術事項が記載されていること、本願発明と引用発明1との一致点及び相違点が審決認定のとおりであること(但し、引用例1記載の補聴器が「リスニング状態に関して」調節処理する機能を備えたものであるとの点を除く。)は、当事者間に争いがない。そして、審決摘示の引用例1の技術事項及び甲第2号証によれば、引用例1記載の補聴器は「リスニング状態に関して」も調節処理する機能を備えたものであると認められる。
2 そこで、原告ら主張の審決取消事由について検討する。
(1) 本願発明における制御装置は、制御装置の外部にあって情報・データを記憶した記憶装置(6)と、同じく制御装置の外部にあって情報・データの転送を受け、これを信号処理することのできる信号プロセッサ(4)との存在を前提とし、記憶装置(6)から信号プロセッサ(4)への情報・データの転送を制御するものであることは、当事者間に争いがない。
(2) 被告は、審決が制御装置に相当するとした引用発明2の「音質調整回路」は広義のものであって、引用例2の第1図に図示されている、狭義の「音質調整回路」(TONE CONTROLLERとして右方矢印の先にあるものとしての図外回路)、「記憶装置12」、「プログラマブルカウンタ5」、「デジタル・アナログ変換器13」、「デマルチプレクサ14と発光ダイオード」、「いくつかのスイッチとアンド回路」及び「データが転送される配線(番号未付与)」からなるものであり、これが広義の制御装置に相当すること、及びこの広義の制御装置は音質調整を行うためのデータを、「記憶装置12」から「プログラマブルカウンタ5」へ、あるいは「プログラマブルカウンタ5」から「記憶装置12」へと転送を制御する機能を有することは自明であって、このような機能を有する部分が「情報・データの転送を制御するもの」としての狭義の制御装置に相当し、広義の制御装置はこの狭義の制御装置を含むものであることを理由として、独特の信号処理の一つのために情報・データを記憶装置から信号プロセッサへ伝送する制御装置を設けるようなことは引用例2に記載されており、引用発明2の「音質調整回路」は制御装置に相当するとした審決の認定に誤りはない旨主張するので、この点について検討する。
引用例2の第1図に図示されている装置(被告のいう広義の音質調整回路であって、被告が狭義の音質調整回路とする、TONE CONTROLLERとして右方矢印の先にあるものとしての図外回路を含むもの)の内部において、被告主張の音質調整を行うためのデータの移動(転送)があること自体は原告らにおいても争わないところである。
ところで、本願発明における制御装置は上記(1)のとおりの内容のものであるから、これとの対応関係において引用例2に本願発明におけるような制御装置が記載されているというためには、「情報・データの転送を制御するもの」が他の装置とは別個に設けられていることが具体的に明らかにされる必要があるものというべきである。
しかして、被告のいう広義の音質調整回路は引用例2の第1図に図示されているように各種の装置を備えた機構全体をいうものであるから、その内部において音質調整のためデータの転送が行われているからというだけでは、未だこれを制御する装置の存在を具体的に指摘したことにはならず、まして、各種機能を有する装置を包含する広義の音質調整回路自体をもって、本願発明の制御装置と同視して捉えることは技術的に正当と認めることはできない。(なお、被告のいう広義の制御装置なるものの技術内容は必ずしも明らかではないが、これ自体が本願発明におけるような制御装置に相当しないことは、被告の主張からも明らかである。)。また、狭義の音質調整回路も、その機能からいって本願発明における制御装置に相当しないことは明らかである。
被告は、引用例2に「記憶操作スイッチ15を閉じた状態で、さらにスイッチ13aを閉じると、そのときのカウンタ5における計数値が、記憶装置12内の第1の記憶素子に記憶される。」(甲第3号証第7頁19行ないし第8頁2行)、「スイッチ13aだけを閉じると第1の記憶素子における記憶値がカウンタ5に対して読み出され、同様に、スイッチ13bを閉じると第2の記憶素子における記憶値が、スイッチ13cを閉じると第3の記憶値が、それぞれカウンタ5に対して読み出される。」(同第8頁6行ないし12行)と記載されていること、及び引用例2の第1図の装置は記憶装置12の内容であるデジタル・データを、カウンタ5を介しデジタル・アナログ変換器13に印加し、デジタル情報をアナログ量に変換した後、制御対象である外部のTONE CONTROLLER制御に情報を伝送(転送)していることなどを理由として、引用例2の第1図図示の装置は情報・データの転送を制御している旨主張する。
確かに、引用例2の第1図図示の装置の内部において音質調整のためのデータの移動(転送)がある以上、これを制御する機能を有するものが上記装置の内部に備わっているものと推測されなくはないし、そのことを前提とすれば、被告のいう広義の音質調整回路(広義の制御装置)は「情報・データの転送を制御するもの」を含んでいるといってよいであろう。
しかし、被告の主張は上記推測の根拠を示すに止まり、更に、同回路中のいかなる装置がそれであるかについて具体的指摘を含むものではなく、この点が明らかにされない以上、広義の音質調整回路(広義の制御装置)は「情報・データの転送を制御するもの」を含んでいるといってみても、本願発明における制御装置と対応すべきものが明らかにされたということにはならないものといわざるを得ないことは既に説示したところから明らかである。そして、引用例2を精査しても、「情報・データの転送を制御するもの」についての記載を見い出すことはできない。
以上のとおりであるから、被告の上記主張は理由がなく、引用例2には独特の信号処理の一つのために情報・データを記憶装置から信号プロセッサへ伝送する制御装置が記載されており、引用発明2の「音質調整回路」は制御装置に相当する旨の審決の認定は誤りであるといわざるを得ない。
(3)<1> さらに、引用発明2の音質調整回路の内部に情報・データの転送を制御する機能を有する装置が備わっているとしても、以下述べるとおり、このような制御装置を引用発明1に付加することは当業者において容易に想到し得ることとは認められない。
甲第3号証によれば、引用例2には、引用発明2の技術課題・目的、作用効果等について、「本考案は、例えばオーディオ機器における音質調整回路に関するものである。」(第2頁11行、12行)、「比較的規模の大きいオーディオ機器における音質調整回路は、周波数帯域を適宜数に細分し、分割された帯域ごとにそのレベルを調整し得るようになっている。ところで、従来のこの種音質調整装置は、分割された周波数帯域ごとにスライドボリウムを設け、これを操作盤上に並設したものであった。しかし、このような従来の音質調整装置によれば、スライドボリウムの厚さがあるために操作盤が厚くなる欠点があった。また、このような従来の音質調整装置では、音質調整の量をボリウムのつまみの位置で確認することになるのであるが、これではつまみの位置が見づらく、特に夜間、あるいは暗い場所での取扱いに支障を来たしていた。」(第2頁13行ないし第3頁6行)、「本考案の目的は、操作盤を軽量、かつ、薄形にし得るようにすると共に、調整量の表示を発光素子によって行うようにして、操作盤の取り付け場所が制限されず、また、調整量を確認し易いようにした音質調整回路を提供することにある。」(第3頁7行ないし11行)、「本考案の特徴は、分割された各周波数帯域ごとにデジタル制御による音質調整回路を設け、さらに、多数列設された発光素子のうち、音質調整量に応じた位置にある発光素子の一つを発光させ、これにより、音質調整量をアナログ的に表示させるようにしたことにある。」(第3頁12行ないし17行)、「使用者の好みに応じた当該周波数帯のレベルを、予め音楽の種類、例えばジャズ、クラシック、ポピュラーなどに応じて各記憶素子に記憶させておけば、以後スイッチ13a、13b、13cの選択操作により、ワンタッチで好みの特性に設定することができる。」(第8頁12行ないし17行。この記載があることは当事者間に争いがない。)と記載されていることが認められる。
他方、甲第2号証によれば、引用例1には、引用発明1の技術課題・目的、作用効果について、「この発明は、補聴器の改良に関し、難聴者がより多くの情報を快適な条件で得ることのできる補聴器を提供するにある。」(第1欄28行ないし30行)、「感音性難聴者の多くは、聴力特性の特に高音域において補充現象を呈し、補聴器を使用した場合、高音域での大きい音に対して『痛み』をうったえることが多い。また、市街地など騒音の多いところでは、通常、周波数スペクトルの幅の広い騒音であるため、このような環境下での会話に難聴器を用いたとき、上記の『痛み』の問題のほかに会話に不要な部分の音による妨害を伴う。」(第1欄31行ないし第2欄1行)、「この発明は、上記の問題を解決することを目的とするもので、入力信号のうちの会話に不要な周波数スペクトル部分で補聴器の出力信号特性をコントロールすることを特徴とするものである。」(第2欄6行ないし9行)、「この発明の補聴器を、実際に難聴者が使用した結果、従来のものに比べて『痛みを感じなくなった』、『騒しい所でも人の声が浮上って聴きとれる』などの反応があり、反面『静かな所では、虫の声、鳥の声などがよくきこえる』という効果がみられた。」(第4欄22行ないし27行)と記載されていることが認められる。
引用例1及び2の上記各記載と、引用例1及び2に記載の審決摘示の各技術事項(この点は当事者間に争いがない。)によれば、引用発明1は補聴器に係るものであり、引用発明2は例えばオーディオ機器における音質調整回路に関するものであって、産業上の利用分野を異にすること、両発明の技術課題・目的、作用効果も相違していること、引用発明1の補聴器は、環境条件によって聴取音をコントロールできるようにしたものであって、聴取を目的とする音(音声等)以外の妨害音を除去又は減衰させるものであるのに対し、引用発明2の音質調整回路は、周波数帯域を適宜数に細分し、分割された帯域ごとにそのレベルを調整するものであって、オーディオ機器に用いられた場合には、聴取を目的とする音質自体を調整するものであることが認められる。
上記事実によれば、引用発明2の音質調整回路の内部に情報・データの転送を制御する機能を有する装置が備わっているとしても、異なった音響環境・リスニング状態に関して難聴者の難聴度に応じて調節処理する手段として、引用発明2の上記装置を引用発明1に付加することは、当業者において容易に想到し得ることとは認められない。
したがって、これに反する審決の判断は誤っているものというべきである。
<2> 被告は、引用発明1及び2は音質制御技術に関して技術分野を同じくしている旨主張する。
しかし、引用発明1の補聴器は周波数特性を変化させる回路を有するものであっても(この点は当事者間に争いがない。)、上記のとおり、聴取音を目的とする音以外の妨害音を除去又は減衰させるものであって、引用発明2の音質調整回路のように音質自体の調整を行っているものではないから、被告の上記主張は理由がない。
また、被告は、両発明は目的において一部共通している旨主張するが、両発明の目的が相違することは引用例1及び2の上記各記載事項により明らかである。ちなみに、被告が引用発明1の目的であるとする、「会話に不要な周波数スペクトル部分で補聴器の出力信号特性をコントロールすること」(甲第2号証第2欄7行ないし9行)は、引用発明1の目的達成のための手段であって、目的そのものではない。
したがって、技術分野や目的が共通していることを前提として、引用例2記載の技術と、「会話や音楽のような情報を含んだ複合入力信号を処理する信号プロセッサ」として共通する引用例1記載の技術において、その調節処理する手段として、引用例2に記載された制御装置を付加することに格別の発明力を要するものではないとする被告の主張は理由がない。
さらに、引用発明2の音質調整回路の内部に情報・データの転送を制御する機能を有する装置が備わっているとしても、上記のとおり、異なった音響環境・リスニング状態に関して難聴者の難聴度に応じて調節処理する手段として、引用発明2の上記装置を引用発明1に付加することは、当業者において容易に想到し得ることとは認められないのであるから、本願発明の「特定の音響環境に最も適した信号処理を自動的にまたは利用者の制御で選択するプログラム可能な補聴器」(甲第4号証第6頁4行ないし6行。但し、甲第6号証による補正後のもの)が得られるという作用効果は予測できる範囲内である旨の被告の主張も理由がない。
(4) 以上のとおりであるから、審決は相違点に対する判断を誤ったものというべきであって、原告ら主張の取消事由は理由がある。
3 よって、原告らの本訴請求は理由があるから認容し、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松野嘉貞 裁判官 濵崎浩一 裁判官 田中信義)
別紙図面1
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別紙図面2
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別紙図面3
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